A 中国チベット ラサ 西チベット エベレスト(チョモランマ)             秘境の道 2004.8.31〜9.30          HOME

            世界最高峰 エベレスト チョモランマ 8848m

 

ぬかるみの道。深いわだちの道。川には橋もない沼地。絶対越えられないと思ったごろごろした石の山道。頭上から滝の水しぶき。すべったり、転倒は数え切れない。とうとう右手薬指を骨折した。腫れて手袋に指は入らない。考えられなかったチベットの道悪。

それでも進むしかない。転ぶたびに起こし役の粥川陽平ライダー(岐阜市)にはお世話になった。「よし!」毎朝必死の覚悟の気持をもってのぞんだ。見たことのないづーと続く雪山のヒマラヤ山脈や高原風景に励まされた。ラサのポタラ宮の大きさにおどろき。西チベットのぽつんとある聖地カイラス山にはあくことなく見とれた。

ヒマラヤ山脈の山が割れた瞬間?が写真に写っていた。最大の目標。エベレスト(チョモランマ)に上がる時セルモーターが故障最悪になった。押しがけしてもらいエンジンをかけたのは初めての経験だ。途中停まったらおしまい。骨折していた指はガタガタ道の洗濯状ではビリッっとくる痛みで思わずハンドルから手は離れる。手首の痛さは限界だ。

最後はオートバイもローギアーでようやく、、ようやくエベレストベースキャンプに登りきった。行き止まりは5200m。白いエベレストだけがキラキラ光っていた。きれかった。ほんとに来てしまった。満足感を感じた。疲れはどこかえいってしまっていた。夜は冷えた。ヤクの糞をストーブに炎やして暖をとった。

考えていなかったエベレストべースキャンプまでこれたことで気持は充分満たされた。帰ろう。エンジンをかけるのに何回も何回も押してもらった。標高が高いので疲れるのだ。次の日今度は後ろのブレーキがきかなくなった。前ブレーキだけでカトマンズまで戻った。国境を越えてすぐカトマンズ側に打たせ湯温泉があった。さっぱりした。一ヶ月の旅は終わった。粥川ライダーとカンパーイ。ありがとう。
                    

*写真の上に手のマークが出るのは拡大します。でか過ぎてすみません。
 見えないところもはっきり見えるのもあります。がまんして見て下さい。

  
峠5220mで現地の人たち、仕事はなにしてるのかなー04.9.4 ラサ市内オートバイ屋。ここでエンジンをばらして高所用エンジンに調整 04。9.7 しごとかなーなにしてんだろうか地元の
人々木の生えないはげ山ばかりのチベット。
撮影粥川陽平ライダー。04.9.7
西チベットに向かって チベットの山は木の生えないはげ山ばかりだった。04.9.7 右手薬指骨折。手袋は軍手でないと入らない。
親指と人差し指だけで運転。ここは食堂04.9.15
 
自分の幼い頃とだぶってくる。ここではなにを食ったかなー。04.9.15 農家の人。なにを作ってるんだろうか夕方の西チベット。拡大してみてください04.9.15 ヒマラヤ山脈をながめる。風呂には入らないのだろうか
なー04.9.17
   
この白い山はもしかしたらアンナブルナかもしれないなーの向こう側はネパール、ポカラあたりかも?。04.9.17 きょもうオートバイに乗りたくないなー道の悪さにまいった。こわい。04.9.17 きょうはここに泊まる。土間の上に一段ベッドの
二人部屋と四人部屋があった水は貴重。 04.9.17
     
西チベットのこどもたち。04.9.17 人間はどんなところでも生活できるのだろうかと思ってしまう。04.9.17 なんとゆう湖だろうか。粥川ライダー04.9.18
大なだれ?
いや山が割れた?瞬間?


     
大雪崩れじゃなくて山そのものが崩壊?編集していて気がついた(2006,7.11)拡大して見てください。山の名前はわかんない。地図で見るとナンダ・デビ7817mかも。カイラス山から南の方ヒマラヤ山脈を見る。2004.9.19 親子でどこに行くのだろう。カイラス山のふもとで、、コインをちゃんと払って撮らせて頂きました。04.9.19 聖地カイラス山。西チベットの高原の中にポツ
ンと際立って座っていた。清楚、威容、独立山。
登山は許されえない。2004.9.19
巡礼地カイラス山の宿泊地まで食料を運ぶ
ヤク。考えられないほどの荷物を背おらせて[重いか」と聴いたら歯ぎしりしていた。2004.9.19
巡礼聖地カイラス山。巡礼者は二日間ぐらいでカイラス山をまわる。粥川君は回ってきた。私はグロッキーで気力なし。2004.9.19 カイラス宿屋の前の川からヒマラヤ山脈をのぞむ。
ここら辺は雨季になると湖みたいになりそう。橋らし
いものはひとつもない。ここにも雪崩れの山が映っ
ている。2004.9.19
カイラス山ふもとの村から南のヒマラヤ方面。村は宿屋。食堂。おみやげやを営み全部で50人ぐらいだろうか。2004.9.19 山の手前に湖がある。すべてが道。すべてが沼地になる。2004.9.19 この建物はホテル。一軒だけかもしれない。
中は一段ベッド二つだった。空気がうすいせいか夜中
に息苦しくなりお迎えが来たのかと、、はやく朝にな
らないかと思った。2004.9.19
水道は山から直接ホースで村まで(写真右)引っ張ってきてバケツで自宅へ運ぶ。2004.9.19 荷物を運ぶヤク。観光客はすべて四輪駆動車で飛ばしてくる。普通車ではとても走れない。ツアーを組まないとチベットには入れない。2004.9.20 さーきょうもきつい荷物運びだー。重いかーと聴いたら、、歯ぎしりしていたなー。2004.9.20
聖地。カイラス山(撮影粥川陽平ライダー) 朝日を受けて神秘なカイラス山2004.9.19
(撮影粥川陽平ライダー)
刻々と変わるカイラス山2004.9.19
(撮影粥川陽平ライダー)
聖地カイラス山。(撮影粥川陽平ライダー)
2004.9.19
一路エベレストへの道。この道が一番いいほう。2004。9.21 高原にある沼地。山に木が一本もないのは標高が高
いからだろうね。04.9.22
サガケン私のふるさとも佐賀県。ついなつかしかったので記念に撮った。2004.9.21 町から町への道2004.9.22 カイラス山からエベレストに向かう。チェックポスト
でパスポートを見せる。2004.9.21
ここチベット。サガケンはちょっとした町。佐賀県も負けそうな見事なホテルを建てていた。2004.9.22 ドライバーの王ちゃんとガイドのトウカイさん
王ちゃんは色々気配りしてくれるがトウカイくんは言われたことしかやらないなー。でもお世話になったねー。
エベレストに向かう日だ。セルが故障していたので
押しがけしてもらいエンジンをかける。途中停まっ
たらおしまいだ。まいったなー。2004.9.25
標高5000mを超える峠を5,6箇所越えたが標識5220mのある峠はここだけだった。粥川ライダーと。04.9。25 顔は笑ってるがエンジンが心配。指も痛い。04.9.25 ヒマラヤ山脈に向かっている。エンジンは止
められない。2004.9.25
ここの町でエベレストへの入山許可書を取る。下り坂なのでエンジンを止めて昼飯をくう。04.9.25 エベレスト(チョモランマ)入山許可発行事務所。ここで料金を払う。本人とオートバイ一人分105元1500円ぐらい。乗用車405元6000円ぐらい。 入山許可事務所からエベレスト方面を見る。04.9.25
いよいよ本格的な登りに入る。指を骨折して手袋は入らないので軍手を使い走る。04.9.25 ヒマラヤ山脈。エベレスト山群の中に入ってゆく。04.9.25 8000m級のヒマラヤ山脈2004.9.25
エンジンをかけたまま峠で休憩。04.。9.19 8000m級が並ぶのヒマラヤ山脈。チョモランマはどれだろうだろう。2004.9.25 いったん下ってまた登り返す、いろは坂?。04.9.19
でかい山の中に入ってゆく。2004.9.25 ここら辺もジャリ道。2004.9.25 最後の村。食堂、旅館数軒あった。2004.9.25
最後の村ここから右にはいって行く。2004.9.25 最後の村で稲刈りの最中。こんな高いところでよく育つんですね。農家は7,8軒ぐらいだったかな。2004.9.25 自分の家から農民の人が近づいて来たので記念に収まってもらった。ほんとはお金をわたすべきだったのかも。すみません。2004.9.25。
最後の村から前方のヒマラヤに向かう。腫れているくすり指。洗濯板状の道にビリーッ思わず手がはなれる。2004.9.25 とうとう、、ようやくついた。ここはエベレストベースキャンプ5200m地点の行き止まり。2004.9.25。 からだもオートバイも限界に近かった。突然白
い山が出てきた。もしかしたらエベレスト、そ
うだった!!疲れはどこかへいった。
2004.9.25
うれしくて、うれしくてしかたがなかった。とっさに自分のオートバイの上にあがった。叫んだ、やったーぞー。右手薬指は腫れて曲がったまま痛さなど忘れていた。2004.9.25 きらきらと白いエベレストだけが輝いていました。指を骨折していたので手首は限界だった。オートバイも最後はローギアーでようやく登りきった。疲れはどこかにいってしまった。 いっしょに走った粥川陽平ライダー。若いのに
しっかりした考えをもち、たのもしい好青年。
うれしい喜び爆発!。岐阜市出身。2004.9.25
しばらく、チョモランマをあがめていた。ここは中国だから敬意を表してチョモランマ8848m。8850mとかの話も。2004.9.25 四輪駆動のドライバーとガイド。粥川ライダー、松尾。四人揃ってホッとする。満足感が顔に出る。ありがとう!。2004.9.25 よくがんばってくれた我が相棒(グレズリー
ワルキューレ1500cc。とにかくタフなオートバイ。
もうすぐ250000km.2004.9.25
仏塔。ここはお寺とホテルはレストラン兼用の二軒だけ。何人ぐらい住んでいるのだろうか。100人ぐらいかなー。04.9.25 新しく出来たばかりのホテルからベースキャンプ場を見る。お寺とホテル。手前のテントは隣で工事していた人たちのテントかもしれない。今(06.7.13)気づいた。04.9.25 夕陽のチョモランマ撮影粥川陽平ライダー
2004.9.25.
ここまでは器械はこないのだろう。増築だろうか、ホテルのとなりで工事していた陽気な地元の人たち。04.9.26 すべて手作業ですすめる。早く出来上がっても働く人の豊かさとは関係ないからね特に先進国では。04.9.26 ここから3600mの本格的な登山。エベレストに
登るためのベースキャンプ、テント場。ここまで
トラッで荷物を運ぶのでしょう。04.9.26
来た道を帰る。ヒマラヤが見える峠。04。9。27 朝日の光を受けるエベレスト。04.9.27 最後の村の子供達。どこの国の子供も無心の
表情にいやされる。04.9.27
最後の村。レストランより食堂のほうがうまい感じがするんです私は。04.9.27 エベレストから帰途に、、ごくろうさんでした。04.9.27 エベレストと同じようにこの岩山などもせりあげ
られて出来上がったものだろうか。04.9.27
ふたたび最後の村に戻る。帰りだったので気持もゆったりになる。行きと帰りで気持はこんなにも違うものなんだな04.9.27 どっちに行くんだろう、、分かれ道でドライバーが来るまで待機。04.9.27. ヨーロッパの人はグループで自転車で走っていた。
とりあえず難関の峠を越えられてホッとする04.9.27.
エンジンをかけたまま峠で休憩。次の日帰るとき後ろのブレーキ板が取れてしまっていた。前ブレーキだけでネパール、カトマンズまで走る。04.9.27 一ヶ月ぶりにネパール国境に戻ってきた。門の向こうはチベット。頭のフトンこっちはネパール側。2004.9.29 ネパールに戻ってきた。通関の手続きとネパール
滞在延長ビザの手続きも。山の中腹はチベット側。
2004.9.29
今日ネパール、カトマンズはストライキのため外出禁止令が出てここで足止め。ここは日本の民宿といったところ。裏に回るときれいな水がとうとうと家の中を流れていた。ビールで、白酒でカンパーイ。04.9.30 地元の人が使う近くに打たせ湯があった。風呂がなかったので10日間以上入ってなかった自分でもわかるニオイを感じていた。04.9.30 カトマンズに戻ってさっそくオートバイ屋を探し
て修理を頼む。2週間ぐらいかかり日本から部
品を取り寄せる。
これがめんどうなんだ。2004.10.4
国際免許証。一年間有効。1年以上海外の場合困るんです。違反承知で走るか。取り直すか。私は両方だった。 二人で走った西蔵(チベット)はカトマンズ英字新聞(The Himalayan Times)に載った。2004.10.10 ネパール、カトマンズ。2004.10

                  山が割れた?瞬間?2004.9.19         



 山が割れた瞬間?。 まったく気づかなかった。山の形と思っていた。拡大してみてもまだ気づかなかった。何気なく見ていたら削り取らた部分が同じ!、おーっなだれじゃないか?!。そうだそうだ、雪崩れだなーこれは。家内に見せると「雲じゃないの、、」。よーく見ると雪、岩ともども、、山そのものが割れている?。写真撮影2004.9.19(2006.7.11山崩れに気づいた)